5/1 20:50 UP!
軽い接触と重い接触
バルセロナの夜の話
夜10時に、人々が食事をしていた。
急いでいなかった。話しながら、笑いながら、自然に相手の腕に触れながら、座っていた。椅子を引くときに手を置く。話しながら肩に触れる。日常の中に接触があった。
日本では違う、と気づいた。テーブルを挟んで座り、食事中に人の体に触れることはほとんどない。その文化の中で育つと、触れることがイベントになる。接触が少ない日常の中では、触れることひとつに意味が乗る。
バルセロナで見た気軽な接触と、東京での一度の接触は、重さが違う。どちらが良いという話ではない。ただ、日本では、触れることに多くのものが込められる、という事実がある。
だから、その一度を丁寧に設計することに意味がある、と私は思っている。軽い接触の文化では、触れることに設計は要らない。でも、重い文化の中では、触れ方そのものが、語る。
バルセロナの夜を思い出すとき、自分の仕事の意味を考える。日本における接触の重さを、無駄にしないこと。その重さを、ちゃんと受け取ること。それが、私がここでやっていることの、ひとつの核心だと思っている。
旅に出るたびに、戻ってくる場所の意味が少し変わる。
たけと
夜10時に、人々が食事をしていた。
急いでいなかった。話しながら、笑いながら、自然に相手の腕に触れながら、座っていた。椅子を引くときに手を置く。話しながら肩に触れる。日常の中に接触があった。
日本では違う、と気づいた。テーブルを挟んで座り、食事中に人の体に触れることはほとんどない。その文化の中で育つと、触れることがイベントになる。接触が少ない日常の中では、触れることひとつに意味が乗る。
バルセロナで見た気軽な接触と、東京での一度の接触は、重さが違う。どちらが良いという話ではない。ただ、日本では、触れることに多くのものが込められる、という事実がある。
だから、その一度を丁寧に設計することに意味がある、と私は思っている。軽い接触の文化では、触れることに設計は要らない。でも、重い文化の中では、触れ方そのものが、語る。
バルセロナの夜を思い出すとき、自分の仕事の意味を考える。日本における接触の重さを、無駄にしないこと。その重さを、ちゃんと受け取ること。それが、私がここでやっていることの、ひとつの核心だと思っている。
旅に出るたびに、戻ってくる場所の意味が少し変わる。
たけと




