4/29 19:50 UP!
休むことが罪悪感になる人へ
休めない人の多くは、休み方を知らないわけではない。
温泉に行けばいい、睡眠を取ればいい、それくらいはわかっている。問題は別のところにある。
休んでいる自分を、許可できないのだ。
コーヒーを飲みながら窓の外を見ていると、「この時間で何かできるはず」と頭が動き出す。
本を開いても「役に立つ情報を拾わなければ」と目が走る。旅先でさえ、翌日のスケジュールを確認している。
有給を取っても、PCを開く。「少し休んだ」と言いながら、脳はまだ仕事をしている。
それは怠け者の反対ではない。むしろ、頑張ることに慣れすぎた人が陥る罠だ。生産性のない時間を、どこかで罪悪感のように感じている。何もしないことが、怖い。
私のところに来る人の中に、そういう人が多い。最初の30分は、明らかに「何かをしようとしている」。体は来ているのに、頭がまだ仕事をしている。どこかで採点されているような、そういう体の硬さがある。
でも施術後半になると、それが止まる。
帰り際に「こんなに何も考えなかったの、久しぶりかもしれない」と言ってくれる方がいた。「何も生産していないのに、なぜか満たされている」と言ってくれた方もいた。
その「何も考えなかった」という感覚が、本当の休息に近い。休むとは、方法の問題ではなく、許可の問題だ。
私がセラピストとしてしていることは、その許可を一緒に作ることかもしれない、と最近思っている。
自分に「何もしなくていい」と言える人間が、どれだけいるんだろう。
たけと
温泉に行けばいい、睡眠を取ればいい、それくらいはわかっている。問題は別のところにある。
休んでいる自分を、許可できないのだ。
コーヒーを飲みながら窓の外を見ていると、「この時間で何かできるはず」と頭が動き出す。
本を開いても「役に立つ情報を拾わなければ」と目が走る。旅先でさえ、翌日のスケジュールを確認している。
有給を取っても、PCを開く。「少し休んだ」と言いながら、脳はまだ仕事をしている。
それは怠け者の反対ではない。むしろ、頑張ることに慣れすぎた人が陥る罠だ。生産性のない時間を、どこかで罪悪感のように感じている。何もしないことが、怖い。
私のところに来る人の中に、そういう人が多い。最初の30分は、明らかに「何かをしようとしている」。体は来ているのに、頭がまだ仕事をしている。どこかで採点されているような、そういう体の硬さがある。
でも施術後半になると、それが止まる。
帰り際に「こんなに何も考えなかったの、久しぶりかもしれない」と言ってくれる方がいた。「何も生産していないのに、なぜか満たされている」と言ってくれた方もいた。
その「何も考えなかった」という感覚が、本当の休息に近い。休むとは、方法の問題ではなく、許可の問題だ。
私がセラピストとしてしていることは、その許可を一緒に作ることかもしれない、と最近思っている。
自分に「何もしなくていい」と言える人間が、どれだけいるんだろう。
たけと




